kirinmanjairo’s blog

高校受験、大学受験に関するよもやま話

小学校での英語教育の是非

「小学校での英語教育の影響」について考えてみる。

英語を外の世界を知るための一つの手段として捉えればそう悪くはないだろう。例えば、英会話教室に通って会話を習うだけではなく、講師の母国での生活の様子を知ることは海外文化の知識を広げる意味でも良いことだ。

しかし、日常的に中高生に英語を教えている立場からすると、小学生に教科として英語を教えることには抵抗がある。

特に、その上の中学生の国語と英語の現状を考えてみると素直に歓迎も出来ない。

 

現在、どれくらいの中学生が日本語で作文を書いて、自分の意見をまともに伝えられているのだろうか。

中学生の作文

学校の作文と言えば、まず、与えられたテーマに対して結論とすべき自分の意見を導き出し、根拠になる具体例を用意しそれを一般化して結論に結びつけることが必要だ。これを適切な語彙や表現を駆使して、論理の飛躍なくまとめることが出来る中学生はそう多くはない。テストでいい点数がもらえている作文を読ませてもらっても大抵は、教科書などで見聞きした模範解答を想定して、強引に自分の意見を合わせて予定調和的な文書を書くことでよしとしている。

中学生でこの状態である。小学生は言うまでもないだろう。

こういった、母語での自己の表現方法の確立が不十分な時期の小学生に、他の言語での表現方法を教授することは何かしら弊害があるように思える。例えば、hotという形容詞の「暑い」と「熱い」の表現の違いや「今日は暑い」と「熱い先生」の言い換えをどうするかなど、簡単な単語でも日本語から英語に置き換えるのはそれなりの母語の語彙や言い換えを知っておく必要がある。簡単な単語だから小学生でも使えると考えるのは早計だ。詳しいことは言語学の先生方の意見に譲るが、少なくとも、母語で自分の意見が十分表現できるようになってから、外国語の教育を始めた方が習得効果は高いはずだ。

小学校では国語を筆頭に、英語よりも早期に習得する必然性が高い教科がたくさんある。私は国語は別格として、社会や理科、音楽、図工などの科目も英語よりも優先度が高いと考えている。そして忘れてはならないのは、小学生は「しっかり遊ぶ」事が何よりも大事だ。

結論

母語の高度な表現方法を習得することを優先させた方が、結果的には外国語の習得がスムーズになる。つまり、英語は中学もしくは高校からでも十分だ。

 

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